尾崎豊の死について。経緯や私が思うこと。

 Fender Telecaster Lite Ash
Fender Telecaster Lite Ash / Ethan Prater


 今回は尾崎豊の死について。

 尾崎豊のファンや興味を持ち始めた人の、多くが気になるのは
「尾崎豊はなぜ死んだのか」です。

現在までわかっている状況。そして私の考察を書く。

 
■ 尾崎豊 死の状況や出ている情報 


尾崎豊の死について、私も時々「なにか新しい話が出ていないか」調べている。

今回は現時点で分かっている経緯と、私が思うことを書きます。


■ 尾崎豊について 経歴

1965年11月29日誕生。
1983年12月1日 アルバム『十七歳の地図』、シングル「15の夜」でデビュー。翌年に高校を自主退学する。
徐々に人気が出始めて、やがて10代のカリスマと呼ばれる。

20代を迎える頃から不調となる。レコード会社移籍から、無期限活動休止や覚醒剤取締法違反など、迷走と挫折を迎える。 その後、CBSへの復帰や事務所立ち上げなど復活するが、周りとの不和や家族の不幸など混迷は続いた。

1992年4月25日(26歳没)



■ 「尾崎豊の死」- 報道について

 まず報道を、Wikiを元に要約する。
1992年(平成4年)4月25日早朝に、自宅近くの民家の軒先で尾崎豊が死亡していた。身体は全裸で傷だらけ。 当初死因の見解は、極度の飲酒による肺水腫。後に2001年の裁判では「覚せい剤反応があった」とある。

他殺説については、警官が尾崎自身が転倒したり転げまわっていたと証言。また検視者の著書から『他者の暴行によるものではない状態だった』とある。

しかしマスコミ側は『不可解な死』と唱えて論議が続く。時代を追う毎にメディア側から陰謀説や犯罪説がはじめ「暴行を受け殺された。」「会社や関係者による他殺説」が出てくる。尾崎の親族側とマスコミが対立して、裁判になる等混乱してしく。



■ マスコミの情報と考察

何度か死にまつわる暴露話が出ている。しかし裏付けや証拠も無いし、妙にご都合主義だったりで、やはり信じにくい話になってる。


● 残されたメモ

 後に出た発表では、2011年に文藝春秋から”尾崎豊の遺書という紙片”の情報がある。妻の繁美さんが、子供の尾崎裕哉さんが「成人するまで隠しておいて欲しい」と頼んだもの。

内容は、一つは遺書と言われるもの、もう一つは奥さんと子ども宛です。

一つは、尾崎自身が持ち歩いていたバッグにあったといわれるメモ。たしかに遺書とも取れるが、尾崎豊の歌のような構成です。そして遺書なら、警察や家族が見逃すとも思えないのですが。尾崎豊のお兄さんは存在を知らなかったようです。

二つ目は、自宅から死の一か月後に発見されたと言われるもの。母の遺影の脇にあったそうです。こちらは奥様と子どもを守り続ける決意が書かれてる。文体も尾崎の曲と同様な抽象部分がある。

私も記事を読んだ。内容は、死を語る文章と生き続ける決意の紙であり、遺書や死の決意とは言い切れない物に見えた。 簡単に言えば、歌のメモに見える。




■ 尾崎豊の死に対しての想像。 

放熱への証

 ここからは、私が尾崎豊の死に対して思ったこと。

死について他殺説が唱えられる。しかしメディアが出したものであり、公的機関が出したものでは無い。マスコミが唱えるように犯罪性があったと仮定して、警察が隠ぺいする理由がない。やはり過度に騒ぎ立て、反論ができない者を素材にして儲けようとしてるだけに見える。

そして企業や薬物・酒。本人の意志の弱さと、要素が多くて真相が追求しにくい。
全体から考察して、納得しやすい答えは「尾崎豊の死は飲酒・薬物事故のようなもの」ではないでしょうか。

例え話をします。 ブラック会社が過酷な仕事を社員にさせていた。そして会社に立腹して独立した男がいた。男はあまりの過酷な勤務状況でやけを起こし、過労の中で酒を飲みすぎる。そして車で事故を起こして亡くなった。 ~ これなら見方次第で企業の責任にも、個人の自殺や事故にも取れる。


 ● 死亡前の仕事や生活状況。

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まず仕事面。尾崎はプロダクションやスタッフに裏切られる。人を信頼できる状況で無かった。

かなりひどい状況です。 尾崎は、ソニーと決別して個人事務所を設立する。自身でライブのスケジュールや手配をする過酷な状況になる。また音楽性では、期待に沿う苦しみの部分も多かった。学校や社会へ対立する先導者のイメージが強く反逆性を求められており、20代を超えて方向性に迷う。

・逃げ場のない圧力
そして追い詰められた。尾崎豊は、新作を出すため仕事に追われる。だが91年末には、仕事を手伝っていた母親が過労から急死する。さらに不幸なミスも重なった。事務所設立時にアルバム『誕生』の登録をしていなかったため、尾崎には印税が入っていなかった。尾崎はストレスから毎晩のように酒をあおり、何時死んでもおかしくない酒量を飲む。

家族にも暴力をふるうようになる。 死の5日前には、例え話の質問で「奥さんに一緒に死んでくれるか、自分が死んだらどうするか?」と訊ねる。 


・生きようとしていた証拠
反面、尾崎は友達と死亡日の先に会う予定をしている。 計画した自殺とするなら予定と噛み合わない。 

また最後のアルバムとなった「放熱の証」には、尾崎の感情を記したと推測される曲が幾つかある。
例えば、リード曲である「汚れた絆」。そこにはかって組んだ友人への哀愁。そして”いつかまた出会えるさ”と公開や思い出だけでなく、しっかりと決別を唄っているように取れる。 またアルバム最後であり、「Mama, say good-bye」は、母に宛てた曲。尾崎豊最後となる曲だが、ここでもやはりけじめをつけようとしているようだ。”だからお眠りよ もう何も悲しまなくていい”、と母への別れを唄っている。遺された最後の作品からは混迷やつらい別れの中でも、尾崎は前進しようとしてたと感じる。

自殺とするなら、明確な意思表示や方法がある。
思うに、尾崎豊は不安定な精神状態で『死んでも良い』と投げやりにもなるが、別に本気で死ぬ気は無かったはず。


・迷走の果てにたどり着いた結果
それでも彼が死んだのは、もう身体が”不健康な生活”に耐えられなくなっていた。そして「死んでも良い」と思えるような自暴自棄な部分が重なり、遂には死に至ったのだと思う。

不安定な精神状態で酒や薬物に頼り、量がコントロールできず死んでしまった。仕事のストレスが圧力となり、逃げ場を求めるが家族は心中を拒否する。 トラブル後に自分のプロデュースで新作をつくる状況で、彼に”再び休止する”という逃げ道は塞がれていた。かかった圧力の逃げ場は、結局天国になった。


 死後に出たアルバムのタイトルは「放熱への証」
ジャケットは十字架に横たわる尾崎豊で、死を想像させるあまりに不吉な構図でした。



■ 死の遠因 


・公式動画 映画『復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20』 予告編【公式】 12.1公開より

 尾崎の死に対して、非常に的を得ている言葉がある。

歌手の長淵剛がラジオで「尾崎は最後にレコード会社からも見捨てられ、本当に孤独だったんだ。彼みたいな才能ある人間を業界は孤独にさせたらだめだ」とコメントしている。長く音楽業界にいる長渕剛の言葉は非常に説得力があり、納得できます。 他者は、尾崎の死へつながるきっかけを防げなかった。


 ・再出発と苦悩
尾崎は、一度は迷走と混乱の時期を超えた。レーベル移籍や活動休止、逮捕の時期の後だ。 アルバム『誕生』という、悩みを吹き飛ばして新しい方向性を打ち出す傑作を出した。だがその後に、廻りとの不調和や誤解からまた破滅へ転がり落ちた。

私は尾崎豊のそばにいたわけでもなく、業界で関連したわけでもないので傍観者としてのコメントしかできない。
尾崎の死へ繋がる大きな要素は、周りとの不調和だ。 不調和は過酷な仕事環境と人間関係の裏切りを生んだ。 尾崎が晩年持った人間不信は 破滅思考と猜疑心が生んだように見える。 しかし気丈に見えても、内面は繊細であり 仕事やファンに対し歌を歌い続けよう,応えようとした。 だって本当に人間嫌いなら、嫌な人のために歌う必要が無い。 彼に『歌うことをやめる』という選択肢は無かった。

結果は、破滅の道へ向かう。そして酒や薬物への依存、悪い部分が重なり死んでしまった。
彼の人生という時計の針は止まった。




■ 残る謎

あまり追及されてないのが、闇の部分だ。有名人が死亡したのに、不思議な部分だ。 薬物の入手経路や販売者。凶器といえる薬物については、警察などに調べられていないのがおかしい。


■ 尾崎豊の死を招いたのは誰か?

 あえて分かる情報から「殺したのは誰か?」と責任を追及するなら。 

やはり薬物を売った奴でしょう。そして、利益本位でクリエイターをサポートしない企業。そして最後は、本人のおごりと心の弱さだと私は考える。

「薬物におぼれて死んだ孤独なロッカー」というのは、周りで利益を得ようとするものが打ち出している宣伝でしょう。
マスコミの言う他殺説も証拠に乏しくて、真実の追求というより、センセーショナルに騒ぎ立てゴシップを売る。利益目当てに見える。

傍観者が見える構図は、才能を持った人間に、金目当てと欲望を持った魑魅魍魎が群がり喰い殺した。そう見えます。


追記: 尾崎の後にも、マイケルジャクソンやプリンスという偉大なロック・アーティストが薬物で無くなっている。 アーティストと薬物の関わりは、死へ陥る組み合わせでしょう。悪を断ち切る、歌手を守り助けるすべは無いのか?と思う。



■ 更新情報

2021年9月27日 文章と画像調整。経歴追加。放熱の証からの感想と考察を追加。見出しや箇条書きを付けて見易くした。
再公開。
2018年7月3日 疑問点が増えたので公開停止。薬物の入手経路、尾崎以外の要因による死について。
2018年5月15日 追記


■ 関連、参考サイト

 ・Wikipedeia 尾崎豊 


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